昭和50年とか60年くらいでしょうか、私が子供の頃こういう御見舞いの品が流行っていたような気がします。
おぼろげな記憶をたよりに作ってみました。
昔はこういう派手なものが多かったような気がします。
昨日の私はフルーツキャップの鬼だった。
久々に神経を集中させて細かいことをやったので肩がビキビキになってしまった。
ただフルーツを作るだけじゃおもしろくない。(だってリアルに作れないから)
しかしシールをはったりフルーツキャップをかぶせたりすることである意味リアルになれる。
そいういう本物感が私は好きだ。
パックに造花を置いただけでいつもの私の写真とは思えない華やかな画像に
(カン違いか。。。)
メロンのスジも一本一本這わせた。
頑張ったのに茎の処理を忘れた。そんなもんだろう、わたし。
詰めが甘いな〜。
ちなみに果物はバナナ、パイン、メロン、赤りんご、青りんご、オレンジ、洋ナシ、ぶどう、グレープフルーツ、スウィーティー(昔はそんなのなかったような気が・・・)

カゴは既製品のカゴをカスタマイズした。
取っ手の部分を外して向きを変えて取っ手をつけた。
そして豪華さ、仰々しさを演出するために台をつけた。
これがあるとないとでは大違いだ。
スカートをはいた時にローファーを履くかハイヒールを履くかくらい違う。
(8センチくらいが私は理想かな)

リボンはオーガンジーを切ったりはったり色つけたりして加工。
てっぺんのところのリボンにはかなり苦しめられた。
何度も失敗したが結局これが限界と思うことにしてあきらめた。
かごの上には二色の紙をのせ、キラキラのチカチカをのせてある。
それがまたなんとも言えずバブリーな感じがして私は好きだ。
上にのっている果物の量よりも明らかにカサマシのほうが多い。

フルーツや紙、看板?などは全て接着していないので、自分の好きなようにレイアウトして飾ることができるのだが、ピンセットでつまんだりしてセッティングするにはかなり神経をとぎすまして気を長くもってやる必要がある^^
気を抜くと山が崩れる。気合を入れろ私。
あきらめるな私。がんばれもうちょっとだ私。

そして今回は御見舞いの品だというところがポイントだ。
たしかこういう感じの看板みたいなものが立ってたような気がする。
これがまた何ともいえず昔風で自分的にもツボだった。
子供の頃こういうものを持って親と一緒にお見舞いにいったり、いただいたりした記憶がある。
(もしかして妄想だったりして・・・理解できるかた、掲示板かメールで意見を求む)

今回これを作るにあたって、参考になる資料をインターネットで調べようとしてみた。
が、調べかたが下手なのか、それらしいものに全くヒットせず、がっかりした。
やはりこういうものは流行すたりがあるらしい。
というより、これはあの時代にのみ、あの時代だからこそ、あの時代を象徴した風物だったのだろう。
過ぎたあのころを思い出すときに感じる、懐かしさというだけではない何かワクワクするようなこの気持ち、将来今の時代を思い出した時、それと同じような気持ちになるだろうか?
ならないような気がする。
いや、なるとしたら、何を思い出して懐かしく思うのだろうか。
生活雑貨?多様化しすぎてこれといったものがない?
豊富になったコンビニ商品?
何だろうな〜。これからも周りの環境は変わっていくんだろうな。

余談だが、未だに葬式や法事のさいにはこのようなカゴもりは大活躍している。
私はあれが大好きだ。
大量のくだものが発する甘酸っぱいかほり、クラクラする。
いくら鼻のつまった私といえど気づくくらいのボリューム。
誰が何と言おうとあれは全部私のだ。
・・・と心の中で思う。
ああ、早くばらしたい、と思いながら式が終わるのをまつのだ。
不謹慎きわまりない。
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